1960(昭和35)年、西﨑和男は「広島鯉城ライオンズクラブ」に入会します。同クラブの設立は1958(昭和33)年。広島市内では「広島ライオンズクラブ」に次いで2番目、県内でも5番目に創設された伝統あるクラブです。
当時、和男は40歳でしたが、「若すぎる」という理由で即座に入会が許されず、半年ほど仮入会の形で参加していたそうです。しかし入会後の和男は、次第に他のメンバーから一目置かれる存在となり、11年後の1971(昭和46)年には、同クラブの第14代会長に就任します。
以下、ライオンズクラブで和男と親交のあったお2人の方のインタビューから、幾つかのエピソードをご紹介しましょう。
●柴田 修三 氏(山陽工業株式会社 取締役会長)のお話
西﨑さんは、直情径行型と言うか軍人気質と言うか、非常にルール、規律を重んじる人でした。時間にも厳しかったですね。チャーターメンバー(創立時からの会員)以外で会長に就任したのは、西﨑さんが2人目、しかも会長に就任した時の年齢(51歳)は、歴代最年少記録でした。それだけ人望があったわけです。
私が西﨑さんと最も親しくおつき合いさせていただいたのは、「広島鯉城ライオンズクラブ」の30年大会があった1987(昭和62)年頃です。西﨑さんは大会委員長を務め、見事に大会を大成功に導かれました。私も2002(平成14)年に45回大会の委員長を拝命しましたが、それは大変だった。よほどアクティヴな人でないと大会は仕切れない、西﨑さんはやはりただ者ではない、と改めて感じたものです。
西﨑さんは、思いついたことなどをその場できちんと書いておかないと気がすまない人でしたが、私も同じ。そんな似たところもあって、気が合ったのかも知れません。色々なことを語り合いましたが、西﨑さんの口から苦労話を聞いた記憶はありません。つらい事、苦しい事は、ぐっと胸に収めて毅然とふるまう、そんな人でした。
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