メーカー→代理店(1次販売)→卸商(2次販売)→需要家(印刷業者、紙器業者など)という、現在の洋紙流通の基本的な流れが確立したのは、19世紀末(明治30年頃)のことです。代理店制度は1882(明治15年)、中井商事(現在の日本紙パルプ商事)と抄紙会社(現在の王子製紙)との間で結ばれた販売特約に始まります。その後、メーカー各社は有力な紙商を自社の特約店にすることで販路の拡大を図っていきました。
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は、東京を中心に死者・行方不明者10万人以上、全半壊した住宅25万戸以上、消失家屋約45万戸という甚大な被害をもたらしました。関東に拠点を置く紙商の多くも大きなダメージを受け、企業体質が弱体化した紙商に対し、メーカーが資本援助を行った結果、紙商は、メーカー別に系列化されていきます。
こうした紙業界の基本構造を根底から覆したのが、1938(昭和13)年に公布された「国家総動員法」です。この法律により、紙は統制品に指定され、生産は「洋紙共販株式会社」、元売りは「日本洋紙元売商業組合」に一元化されました。さらに1944(昭和19)年には、紙の製造・販売を統合する「紙統制株式会社」が設立され、紙商(代理店、卸商)の商権は完全に消滅しました。
戦後も紙の統制はすぐには解除されませんでした。商工省は紙の統制・配給制度を国の強力な管理のもとで維持すべく「紙配給公団方式(メーカーから公団が紙を一手に買い取り配給する)」を主張、商権の復活を求める紙商たちと鋭く対立しました。
1946(昭和21)年11月7日、「官僚統制方式はとるべきではない」とするGHQの通達を受け、商工省は公団方式を断念し撤回を表明します。東京都紙商組合では、このことを記念し、11月7日を「紙商商権復活の記念日」としています。しかし商権は復活しても、紙は已然として統制品のままでした。全種類の紙の価格、配給が完全に自由化されたのは1951(昭和26)年5月1日のことでした。