前回に続き、もうお一人、ライオンズクラブで西﨑和男と親交のあった方のお話をご紹介します。
●林 春樹 氏(株式会社フタバ図書 会長)のお話
西﨑さんが元陸軍中尉、それも陸軍中野学校出身だと聞き、道理で歯切れがよく、折り目正しく、頭の回転が非常に早いわけだ、と納得した覚えがあります。戦争中、敵地後方撹乱(かくらん)兵器としての風船爆弾を闇夜、秘密裏に飛ばしておられたとのことでした。終戦後シベリア抑留中に、これ等の風船爆弾の関与者についてソ連軍の探索が行われたが、何とか元の身分を隠し通せた……。もしも西﨑さんの関与が当時のソ連軍側に知られたら、また、中野学校出身の将校など身元が割れていたら、到底、日本へ帰る事は叶わなかっただろう……など、話を聞かせていただいた事を思い出します。
振り返ると、西﨑さんは「広島鯉城ライオンズクラブ」の最盛時の会長さんでした。私は新入会員でしたから、その頃の記憶は鮮やかで、強烈に残っています。西﨑さんは全体の中で、一目置かれる存在でしたから、新米メンバーとしては、それはもう近寄りがたい人でした。ずっと後の事になりますが、
親しく話せる間柄になったのは、西﨑さんが地区キャビネットの幹事長をされた時からがきっかけでした。私が3人の副幹事の中の一人でキャビネット事務局長を務めさせていただいたおかげです。以来、身近に接する事になってみて、意外でした。非常に優しい方だったでよね……。一度心を開いた人とは、とことん仲良くする、そんなところがありました。
しかしもライオン歴の古い方に対しても、言うべきことはきちんと言って、いい加減な妥協のない方でした。そういう事ですと、煙たがられたり、陰口があるものですが、西﨑さんに関してはありませんでしたね……。西﨑さんは皆さんから好かれていたんです。
西﨑和男という人は、集団の中にありながら集団に埋没しない、どんな状況にあっても己自身で道を切り開く、そんな力を身につけておられたように感じます。それは持って生まれた性分というものもあったでしょうが、戦時に、逸材揃いといわれた中野学校(士官学校)という情報将校の養成機関で「個として生き抜く力」を培う教育を受けたことも、影響していたのではないでしょうか。
西﨑さんから人生の学びを沢山頂きました。
心から感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント