1987(昭和62)、西﨑和男が実行委員長を務めた「広島鯉城ライオンズクラブ」30年記念大会では、時計塔「悠久」の寄贈(広島駅前広場)。また、NHK報道局長(当時)だった磯村尚徳氏による記念講演の開催や、西ドイツ(当時)・ハノーバーライオンズクラブとの姉妹縁組締結などの記念事業を行っています。
和男は30周年記念座談会の中で、次のように述べています。
「時計塔はなんとかなるが、ハノーバーとの姉妹縁組と磯村先生の講演ということになると、両方は不可能に近い問題ではなかろうかということで、実は本当に頭を痛めたわけです。(中略)しかし、これが三つとも成功すれば、本当に30周年にふさわしい大会になるという感じがしていました」。
さまざまな困難を克服し一大事業を成し遂げる、この点において、和男は確かに非凡な力量を持つ人物でした。しかしもう一つ、見落としてならないことがあります。それは和男の「地道さ」です。「広島鯉城ライオンズクラブ」の会長時代(1972-1973)、和男が精力的に取り組んだのは「例会の活性化」でした。彼はまず会員に対して「例会活性化のために何を望むか」というアンケートを実施します。そして「ゲストスピーチの充実」を望む多くの声に応えるため、年間24回の例会のうち、実に16回、自らゲストスピーカーの人選と講演交渉を行っています。
大局観と地道さ。人を動かす能力と自ら動く姿勢。この両面性があればこそ、和男は経営においてもライオンズクラブにおいても、事をなし得た、と言えるのではないでしょうか。