「ぎんのすず」と広島図書 その1
原子爆弾投下からちょうど1年後の1946(昭和21)年8月6日、広島で一冊の冊子が発行されました。「ぎんのすず」。『広島県大百科事典』には、発刊の経緯が次のように記されています。
—広島市の小学校は徐々に復興したが、その機能が必ずしも十全ではなかった。街には、いわゆる浮浪児があふれていた。こういう状況を見かねた広島市小学校
教員有志は、当時、千田小学校長であった伊達高道を会長として広島児童文化振興会を結成、科学班、体育班、文芸班、音楽班、美術工芸班などを組織し、児童
の文化活動を企図した。この文芸班の活動の一つとして同年8月6日『ぎんのすず』が創刊された。童話、作文、学習記事を盛ったタブロイド版の一枚物であっ
た。—
戦前の日本には、旧制中学の教員などを養成する高等師範学校という教育機関がありました。その数は東京(男子・女子)、広島(男子・女
子)、奈良(女子)、金沢(男子)、岡崎(男子)と、全国でわずか7校。明治以来連綿と受け継がれた「教育県」の伝統が、『ぎんのすず』に見られるような
戦後の教育運動の底流となったのかも知れません。
さて、広島の教育者たちが始めた小さな出版事業に着目したのが、前稿でご紹介した広島印刷株式
会社(後の広島図書株式会社)です。同社は、財政的に困窮していた広島児童文化振興会からこの冊子の発行事業を引き取り、月刊誌『ぎんのすず』を発刊しま
す。翌47(昭和22年)には中学生向けの科学雑誌『科学新聞』を創刊。さらに『ギンノスズ』(小学校低学年向け)、『銀の鈴』(同高学年向け)に続き、
中学生向けの学習雑誌『銀鈴』などを次々と創刊します。
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