日本経済が戦後の混乱を乗り越え、本格的な成長軌道に乗ったのは、1955(昭和30)年ありたからです。以来、数回の調整局面はあったものの、「神武景気(31か月間)」「岩戸景気(42か月間)」、オリンピック景気(24か月間)」「いざなき景気(57か月間)」と、約18年間にわたって好景気は続きました。
広島においても、1955(昭和30)年には平和記念館、翌56年には広島市公会堂、県庁新庁舎、さらに1957(昭和32)年には広島市民球場が落成し、原爆によって壊滅した広島のまちが、めざましい復興を遂げていきます。
そんな「新生・広島」の熱気を象徴する一大イベントが、1958(昭和33)年に開催された「広島復興大博覧会」です。
—広島市が飛躍的な発展をとげた昭和4年3月の昭和大産業博覧会から29年ぶり。原爆で廃墟となった広島が平和記念都市として立ち上がり、たくましい復興の姿を内外に紹介する博覧会が、華やかにふくひろげられる。—(中国新聞・昭和33年4月1日)
平和記念公園、平和大通り東詰め、復元された広島城天守閣の3会場で、4月1日からのべ50日間にわたって開催されたこの博覧会には、のべ91万人の人たちが詰めかけ、多くの市民が復興を実感したと言われています。
1958(昭和33)年は、西崎和男にとっても家業を再開して10年目の節目の年にあたります。以後、西﨑洋紙店は、日本の高度経済成長、広島の発展と歩調を合わせながら発展します。1959(昭和34)年には三男・久純が誕生。和男は、呉、小郡、松山などに販路を広げるとともに、段ボールケース製函販売を行う系列会社・西﨑紙器株式会社を設立し、広島における紙卸商の雄としての地位を確立していったのです。
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