新しい年、読者の皆様にもっと楽しんでいただけるよう、がんばります。
さて、西﨑紙販売100周年誌制作にあたり、情報収集のためにさまざまな場所を訪ねています。そのうち、故・西﨑和男(前西﨑紙販売会長)の足跡をたどるよすがとなるものを、いくつかご紹介しましょう。
●広島郷土資料館(広島市南区宇品)
1911(明治44)年に建てられた「宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場(うじなりくぐんりょうまつししょうかんづめこうじょう)」の跡地にある赤レンガ造りの建物です。ここでは「広島市における針づくりとその技術」という調査報告書を入手しました。
●広島県立文書館(広島市中区千田町)
1894(明治27)から1968(昭和43)年までの中国新聞、1894(明治27)年から1918(大正7年)までの芸備日日新聞が閲覧できます。1948(昭和23)年6月18日付・中国新聞紙上の「シベリア引揚者」の名簿には「西﨑和男」の名が見られます。
●舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)
「岸壁の母」で知られる舞鶴港を見下ろす丘に立つ記念館です。第二次世界大戦終結後、西﨑和男が所属していた関東軍の将兵70万人のうち66万人はソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留され過酷な強制労働に従事させられたと言われています。和男は3年近くに及ぶ抑留から解放され、1948(昭和23)年6月14日、舞鶴で祖国の土を踏みました。
記念館の「語り部」ボランティアの方のお話によれば、舞鶴の人々は引揚者を心から歓迎し、温かくもてなしたそうです。当時小学生だったというボランティアの女性は、引揚者の宿泊施設を慰問し、歌や踊りを披露した、と思い出を語って下さいました。
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