—用紙販売一本に営業内容を定めた西﨑洋紙店は、まずその販売納入先の拡張をはじめたが、そのうちもっとも大きな得意先は陸軍と諸官庁であった。(中略)陸軍に大量の用紙を納入していた西﨑洋紙店は、(中略)師団司令部、連隊本部かせ「用紙の納入にあわせて軍用印刷物の御用を承ること。但し、軍用印刷物は機密事項等々あるによって、一般市中注文印刷物と全く区分されるべきこと」と要請されるに至った。—(「六十年の歩み」より)
こうして西﨑洋紙店は1938(昭和13)年10月、印刷業を開始することとなりました。この年の4月には第一次近衛内閣によって「国家総動員法」が制定されています。自由な経済活動が大幅に制限される中、新規事業に進出できるのは、一見、願ってもないチャンスのように思われます。しかし軍用印刷物には機密保持、納期厳守など、厳しい条件が課せられます。
さらに西﨑登にはもう一つ、重大な懸念がありました。それは取引先である印刷業者との関係です。いかに陸軍からの要請とはいえ、得意先の印刷業者と競合関係になることは、「信用」を何よりも大切にする西﨑登にとって決して容易な決断ではなかったはずです。かといって、洋紙の大納入先であり、また当時の日本で絶大な力を持っていた陸軍からの要請を断ることもできません。
思案を重ねた末、西﨑登は得意先である印刷業者を訪れ、支援と要請を取付けることに成功します。針の包装加工事業から撤退する時と同様、策を弄せず、相手と誠意をもって話し合うことで活路を拓くというのが西﨑登の「商道」だったのです。
こうして西﨑洋紙店は1938(昭和13)年10月、印刷業を開始することとなりました。この年の4月には第一次近衛内閣によって「国家総動員法」が制定されています。自由な経済活動が大幅に制限される中、新規事業に進出できるのは、一見、願ってもないチャンスのように思われます。しかし軍用印刷物には機密保持、納期厳守など、厳しい条件が課せられます。
さらに西﨑登にはもう一つ、重大な懸念がありました。それは取引先である印刷業者との関係です。いかに陸軍からの要請とはいえ、得意先の印刷業者と競合関係になることは、「信用」を何よりも大切にする西﨑登にとって決して容易な決断ではなかったはずです。かといって、洋紙の大納入先であり、また当時の日本で絶大な力を持っていた陸軍からの要請を断ることもできません。
思案を重ねた末、西﨑登は得意先である印刷業者を訪れ、支援と要請を取付けることに成功します。針の包装加工事業から撤退する時と同様、策を弄せず、相手と誠意をもって話し合うことで活路を拓くというのが西﨑登の「商道」だったのです。
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