山の斜面を削り取り、その土砂で臨海部を埋め立てて新たな土地を造成する—。この都市開発の代表例として、まず思い浮かぶのは神戸です。1966(昭和41)年起工、1981(昭和56)年に完成したポートアイランドは六甲山地の土で埋め立てた総面積436ヘクタールの人工島です。
一方、広島市において「西部開発計画」が具体化されたのは1964(昭和39)年のことでした。その計画の中には、『背後の山地を削って埋立に必要な土量を得るとともに、削除跡に良好な宅地造成を行い、陸海一体の、また一石二鳥の方式を採用した。これは神戸で最初に手がけた工法であり、これを西部地区にも適用したものである』と書かれています。広島の西部開発の青写真は、神戸で具体化した「一石二鳥型」の開発計画をいち早く取り入れ、お手本にして描かれたものだったわけです。
ところで広島・神戸と言えば、まず思い浮かぶのは「平清盛」との縁の深さです。平安末期、安芸国の国守となった清盛は、厳島神社の社殿を造営し、一族の守り神として崇敬しました。後に太政大臣となった清盛は1180(治承4)年、福原京(現在の神戸市中央区・兵庫区一帯)に都を遷します。
歴史に「もしも」はありません。しかしもしも、前回述べた「宇品港」が軍港としてではなく、開港当初から民間に開放されていたら、広島は現在とは異なる、たとえば国際貿易都市としての道を歩んでいたかも知れません。
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