「広島紙商協同組合」に加盟した洋紙会社の社長たちは、神戸や仙台など全国各地の流通団地を見学するなどして、商工センターへの移転に向けた準備を進めました。また、新社屋の設計や導入する機械などについても情報を交換し、意見を交わしました。こうした共同作業を通じて、彼らの進行は次第に深まっていったようです。「ライバル兼なかよし」。インタビューに応じて下さったある経営者は、組合員同士の関係をそのように表現されました。
西﨑和男は設立から彼の死去まで、25年間にわたり、同組合の代表理事を務めています。無論、彼が適任者だったことが一番の理由でしょうが、和男自身、自らが動き、苦労を重ねながら設立した同組合に、格別の愛情を持っていたのではないかと思われます。
こんなエピソードがあります。同組合ではある時期から、健康診断を始めました。最初のうちはみんなが診断を受けていたのですが、やがて経営者としての多忙な日常に追われ、受診者が一人減り、二人減り……。しかし和男は最後の一人になっても、健康診断を受け続けました。これも組合への愛着のなせるわざ、と見るのはうがちすぎでしょうか。
また1992(平成4)年、組合でハワイへの勉強会を兼ねた旅行を行った時のこと。和男は周囲の人たちに「またハワイで勉強会をやろう。毎年でもやろうではないか」と、いかにも楽しそうに語ったとのことです。しかしその願いはかなわず、1996(平成8)年2月26日、彼は帰らぬ人となったのです。
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