さて、今回は印刷業界とともに紙販売会社と緊密な関係にある製紙業界について、広島県の製紙産業の歴史を中心に概観します。
現在、広島県内にある製紙工場は、王子製紙(株)呉工場と日本大昭和板紙(株)大竹工場の2か所だけです。しかし明治〜大正期には、広島の各地で中小の製紙会社が操業していました。広島市産業局が1956(昭和31)年に発行した『広島の産業』という冊子によれば、広島市内の商品生産額1万円以上の製造業は、
●明治26年(1983)、広島市内の商品生産額1万円以上の製造業/傘、製革、干物、マッチ、染物類、織物、木履、針、足袋、筆、麻網。
●明治41年(1908)、同10万円以上/紡績、缶詰、染物類、菓子、酒類、漁網、紙、足袋、織物、傘、マッチ、蚊帳、履物、鋳物、指物、煙草
●大正10年(1921)、同100万円以上/さらし、紡績、綿糸、傘、製綿、裏地、缶詰、機械・加工部品、ゴム製品、製紙、タンス、菓子、製材
大正時代に至るまで、製紙業(和紙作り)が、広島の主要な地場産業の一つであったことがわかります。
この当時の和紙は家内制手工業によって生産されていました。最も和紙生産が盛んだった佐伯郡(広島市西区草津から廿日市市・大竹市などを含む一帯)では1885(明治18)年、201戸が製紙業に従事し、職工数は1971名だったとの記録が残っています。単純計算すると一戸当り10人弱の職工数です。
『広島の産業』によれば、
●昭和12(1937)、同500万円以上/機械及び部品、缶詰、人造絹糸、ゴム製品、印刷
となっており、製紙は主要生産品のリストから姿を消しています。和紙と洋紙の生産量が逆転したのは1904(明治37)のことでした。この年、それまで和紙が用いられていた国定教科書が洋紙へと切り替わったことが一因とされています。
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