日清戦争(1892-1893)に勝利した日本は1902(明治35年)、「日英同盟」を締結。さらに日露戦争(1904-1905)に勝利し、世界の強国に名を連ねます。さらに第一次世界大戦(1914-1918)では英国の同盟国としてドイツに対して宣戦を布告。戦争で甚大な被害を被ったヨーロッパ諸国に代わってアジアに工業製品を輸出し、莫大な利益を得ます。しかし戦争が生んだ好景気はわずか2年ほどで終息し、深刻な戦後不況が訪れました。これに追い打ちをかけるように1923(大正12)年、関東大震災が発生。震災の被害額は100〜150億円と見られていますが、これは当時の1年間の国民総支出に匹敵する額であり、現代に換算すると約500兆円にものぼります。さらに1929年、米国ウォール街での株価大暴落に端を発した世界恐慌によって、日本経済は瀕死の状態に追い込まれたのでした。このような暗雲たれ込める状況の中で、1926年12月25日、元号が大正から昭和へと改まります。
ところで「昭和恐慌」と呼ばれる不況下に、爆発的な売上げを記録した商品があります。それは「円本(えんほん)」です。1926(大正15)年11月、倒産の危機に瀕していた東京の出版社「改造社」は、社運をかけて「現代日本文学全集」を刊行します。1冊1円(現在の価格に換算すると2000〜3000円程度)、月1冊配本、低価格(当時の単行本1冊が70〜80銭だったのに対し、円本は単行本 10冊分のボリューム)、完全予約制のこの全集に寄せられた予約は23万件。読書人口が現代とは比較にならぬほど少なかった当時としては、驚異的な数字です。これを見た他の出版社も、次々と「円本」の全集を刊行。空前の「円本ブーム」が起きたのでした。
しかしこのブームも、印刷業界全体の景気を底上げするほどの力はありませんでした。「円本」の印刷を受注した一部の業者は活況に湧きましたが、他の多くの業者、特に地方の印刷業者は不況による受注価格の下落により、苦しい経営を余儀なくされたのでした。
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