前回、紙の統制販売について触れました。私たちは、すべてのモノが自由に取引きされることを当たり前のように感じていますが。しかし特定の物品を専売制にしたり、流通・販売を統制したりするのは、洋の東西、平時戦時を問わず、ごく普通のことだったのです。
日本でも戦後長らく、「日本専売公社」という特殊法人が存在しました。専売公社はタバコ、塩、樟脳を独占販売していました。タバコの専売制度が廃止されたのは1985(昭和60)年、塩の販売が完全自由化されたのは、実に2002(平成13)年のことです。
紙も、長い専売の歴史を持っています。江戸時代、幕府は米、金銀箔、石炭、高麗人参、同などを専売品としていました。一方諸藩も、窮乏する藩財政を立て直すために、特定商品の生産を保護・奨励し、藩営の国産会所(物産会所)を設けて買い上げと販売を請負商人などに独占させ、利益を得ていました。そうした専売品の中でも代表的なものの一つが紙(和紙)だったのです。中でも中国山地の良質な原料(コウゾ、ミツマタ、ガンピ)と豊かな水に恵まれた中国地方は和紙の一大生産地で、広島藩をはじめ、長州、岩国、徳山、津和野、松江などの藩が、和紙の専売制を実施していました。
明治維新以後、紙の専売制は廃止されました。1872(明治5)年、日本初の洋紙メーカー「有恒社」が誕生し、1875(明治8)年までに東京、京都、大阪、神戸などで6つの洋紙工場が操業を始めましたが、その生産力は近代化によって急増する需要を満たすには程遠いものでした。足らずを補ったのは、手漉き和紙でした。手漉き和紙の生産がピークを迎えたのは1897(明治30)年のことです。また紙流通を担う企業の中にも、江戸時代、和紙商として創業し、明治以降、その取扱い商品を次第に洋紙へとシフトした業者が多数存在しました。
私たちは、明治維新を境に日本社会が突如西欧化されたというイメージを抱きがちですが、実は急激な近代化を受け入れられるだけの経済、技術、教育の土壌は江戸時代に醸成され、今日にまでその影響を及ぼしているのです。
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