シベリアから帰還した西﨑和男を広島駅で出迎えた児玉秀一氏は、1909(明治42)年生まれ。広島師範学校を卒業し、広瀬小学校の教員をしていた時、和男と出会いました。その後、児玉氏は教職から県庁職員へと転身、さらに1951(昭和26)年4月に実施された広島県議会議員選挙に立候補し当選。1963(昭和38)年には県議会副議長、1978(昭和53)年には県議会議長を務めています。
1974(昭和49)年の西﨑紙販売創業60年記念社長挨拶で、西﨑和男は次のように述べています。
「私は昭和23年6月復員、早速父の家業を継ぐべく、戦前親しくしていただいた広島県庁印刷所長の森田様をたづねましたところ、森田様ではなく私の小学時代の恩師、児玉一郎先生が所長さんでございました。児玉先生は私に、父の家業を継げ、協力する旨話があり、お祝いとして仙花紙一車注文を頂いたのであります」。
この挨拶によれば、和男が県庁印刷所で、たまたま恩師である児玉氏と再会したと受け取れます。児玉氏との再会については、記憶の齟齬は考えられない状況だけに、なぜ和男がこのように事実を端折って説明したのか疑問が残りますが、恐らく児玉氏に対する何らかの配慮があってのことだったのでしょう。
ともあれ、広島に帰った和男は、復員からわずか2か月後の1948(昭和23)年8月には家業を再開します。父の代に取引のあった大阪の代理店を訪ねて仙花紙を仕入れ、8月10日、県庁印刷所に納入。和男はこの日のことを、60年記念社長挨拶で次のように語っています。
「この日は私としての商売の第一歩であり、二代目西﨑洋紙店としての発足した忘れることのできない思い出の日であります」。
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