■スピード昇進
旧日本陸軍には「予備士官学校」という制度が存在しました。これは徴兵による入隊者の中から優秀な人材を選抜し、将官となるための教育を行うものです。徴兵によって入営した人は全員、二等兵となり、半年経過して行われる第一期検閲を終えて一等兵へと昇進します。さらに一階級上の上等兵になれる人は、中隊(200名程度)の中でわずか1割しかいませんでした。
和男は陸軍甲種幹部候補学生に合格して予備士官学校で11か月間教育を受け、見習士官(曹長)となりました。さらに和男は、情報将校を養成するための機関である陸軍中野学校にも在籍していたそうです。40歳代以上の読者の中には「小野田寛郎」という名をご記憶の方も多数おられるでしょう。戦後30年間、日本の敗戦を信ずることなくフィリピンのジャングルで戦闘を継続していた小野田少尉。彼もまた、徴兵→陸軍甲種幹部候補学生→予備士官学校→中野学校と、西﨑和男と同じ経歴の持ち主です。
1942(昭和17)年の末、もしくは翌年の年初、中野学校を卒業した和男は陸軍少尉として満州(現在の中国東北部から内モンゴル自治区にあった日本の傀儡国家)に渡ります。その頃日本はすでに太平洋戦争に突入していましたが、日本軍が米英と直接砲火を交えていた南アジアから遠く離れた満州では平静が続いていました。ここで和男は、ある特別な任務に就くことになります。
(つづく)
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