創立60周年の頃、西﨑和男は周年史の編纂に着手しています。題名は「紙とともに=西﨑紙販売株式会社六十年の歩み」。残されている草稿は原稿用紙140枚で、「第一章・紙の知識 そのはじめから発達の歴史」「第二章・印刷の知識 そのはじめから変遷の概略」「第三章・西﨑洋紙店の創業と初代西﨑登の事績」の三部構成となっています。この中で特に「第三章」は、創業者である父・西﨑登のこと、西﨑洋紙店の歴史について西﨑和男が自らまとめた第一級の資料として注目されます。
これからしばらくの間、「第三章」の記述に沿って、創業から60周年までの歩みをたどることにします。
—大正三年、西﨑登は広島板紙製造合資会社を設立した塚本町の井東幸七、中西熊七、あるいは製針工場を経営していた横山製針所・二代目・横山盛造、田村製針所の田村雅一、広島製針所の中田和一郎らのすすめと指導を受けて、広島市鷹匠町に「西﨑洋紙店」を創業したのである。—(「六十年の歩み」より)
「塚本町の井東幸七」とは、当時の広島を代表する豪商で後に広島商業銀行を設立した人物です。また横山製針所は明治2(1869)年創業の製針業の老舗です。兄弟と共に3人で西﨑洋紙店を創業した時、西﨑登はまだ18歳。年端もいかぬ若者と広島でも指折りの財界人とがどのような経緯で交流を持つことになったのか、興味のわくところです。
これからしばらくの間、「第三章」の記述に沿って、創業から60周年までの歩みをたどることにします。
—大正三年、西﨑登は広島板紙製造合資会社を設立した塚本町の井東幸七、中西熊七、あるいは製針工場を経営していた横山製針所・二代目・横山盛造、田村製針所の田村雅一、広島製針所の中田和一郎らのすすめと指導を受けて、広島市鷹匠町に「西﨑洋紙店」を創業したのである。—(「六十年の歩み」より)
「塚本町の井東幸七」とは、当時の広島を代表する豪商で後に広島商業銀行を設立した人物です。また横山製針所は明治2(1869)年創業の製針業の老舗です。兄弟と共に3人で西﨑洋紙店を創業した時、西﨑登はまだ18歳。年端もいかぬ若者と広島でも指折りの財界人とがどのような経緯で交流を持つことになったのか、興味のわくところです。
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