1974(昭和49)年、創業60周年を機に西﨑和男は(株)西﨑洋紙店を(株)西﨑紙販売へと社名変更。その4年後の1978(昭和53)年には、本社を広島市西区商工センターへと移転します。
和男は、いつ頃から商工センターへの進出を考えはじめたのでしょうか。
『広島市西部開発事業誌(昭和58年・広島市発行)』には、『(進出)企業の選定に当たっては、中小企業高度化事業によって進出するよう進めてきたが(攻略)』という記述があります。中小企業高度化事業とは、同業種の企業が協同組合などを設立し、事業の集約化・共同化・高度化を行う際、国や自治体が低利融資などでそれを支援するものです。前掲書によれば、1968(昭和43)年頃、さまざまな業種において集団化や組織化(協同組合の結成)の動きが活発化したとのことです。
その2年後の1970(昭和45)年、広島市内の洋紙卸業者10社は「広島紙商協同組合」を設立、和男は初代代表幹事に就任しています。この組合設立はもとより、組合に加盟している洋紙卸業者がまとまって商工センターに移転するに際し、和男が中心的な役割を果たしていたことは、多くの関係者が証言しています。恐らく和男は、「西部開発計画」が始動するとほぼ同時に、自社だけでなく洋紙卸業界がまとまって商工センターというフロンティアを目指すべきだと確信したのでしょう。
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